第50回城戸賞

近年の受賞者からのメッセージ

宍戸 英紀

第39回入選
「クロス」

城戸賞50周年に寄せて

ずっと城戸賞などわたしには無縁な賞だと思っていた。雲の上の賞というか、応募したとてレベルが高過ぎて相手にもされないだろうと。それが応募することになったのは、これが箸にも棒にも掛からなかったらもうシナリオなんか書くのはやめようとの思いで何度となく改稿を重ねた作品のページ数がかなり長くなってしまい、その枚数を受け入れてくれるのが城戸賞しかなかったから。ダメ元どころか、ほとんどヤケクソでの応募だった。なので入選の知らせを受けた時は、ほんとうに驚いた。思わず「入選とは上から何番目なんでしょう?」などと聞いてしまったら「1番上です」と返されてまた吃驚。十数年間、いくつものコンクールに応募するも1次も通らぬ日々を繰り返し、腐りきっていた時期もあったが、そんなわたしの前にコンクールの中でも一番に光り輝く荘厳な扉が開いたのだ。この扉の向こうにはどんな未来が待っているのだろう? わたしは期待した。だが、その扉の向こうは何もない荒野だった――。コンクールに受賞すればデビューできるかもという以前はあった道標さえ消え失せたその荒野に半年ほど一人佇ずんだが、誰も助けに来てはくれなかった。わたしは途方に暮れた。だが、ここまで来たら行くも地獄、引くも地獄、恥も外聞もなく映画会社やプロデューサーにシナリオを送り付け、トークショーの会場にも押しかけシナリオを手渡した。自ら行動を始めたとき初めて「城戸賞」の凄さを知った。何人もの人が読んでくれた。その結果、幸運にも受賞作を映画化することができたのだが、デビューを焦るばかりにその映画は受賞作とは似て非なる映画になり、苦い思いも味わった。オリジナルにこだわって映画化すべきだったのでは、いまも折に触れて思うことではある。しかし縁とは不思議なものであの映画が公開されたからこそ、その後の様々な出会いにもつながり、わたしはいまも脚本を書き続けている。城戸賞には感謝しかない。

プロフィール

1974年1月25日生まれ。東京都出身。シナリオ講座受講後、講師であった脚本家・掛札昌裕氏に師事し、『クロス』で第39回城戸賞入選、同作を下敷きにした映画『クロス』(17)で脚本家デビュー。主な映画作品に『夜明けまで離さない』(18)、『銃』(18/共同脚本)、『にじいろトリップ』(21)、『海辺の恋人』(23)、『カタオモイ』(23)、『マッチング』(24/共同脚本)などがある。

蛭田 直美

第39回準入賞
「WELCOME Mr.LIAR~最高の嘘つき~」

城戸賞の思い出

蛭田 直美

2013年城戸賞〆切当日、私は応募原稿の入った封筒を手に、汗だくで日本橋をさまよっていました。
当時は〆切日17時まで事務局に持ち込みで応募が出来たのですが、子どもの頃から何をするのもギリギリ(夏休みの宿題は8月31日どころか9月1日の朝に始めるタイプ)な上、人生に支障が出るレベルの方向音痴な私は、16時55分過ぎても事務局が発見できず、半泣きで事務局に電話を入れるもなぜかつながらず、絶望で魂が半分抜け、必死に書いた日々(ギリギリタイプな為、あまり長くはないですが)の走馬灯が回り始めたその時でした。
「あの……」と、見知らぬ男性が遠慮がちに近づいて来たのです。
道?!道を聞くのですか?この私に?!無理です……!
じりじり後退する私に男性は言いました。
「もしかして、城戸賞ですか?」
えっ!と見ると、男性の手にも大判の封筒が!
そ、そうです!みみみ道に迷って……しどろもどろな私に、「こっちです!」と、先導する様に頼もしく歩き出す男性の背中には、完全に後光が差していました。
千載一遇のミラクルに感謝感激で着いて行くこと数分、ふいに「あれ」と立ち止まり、あたりを見回す男性。「住所的にはここだよな……」
ど、どうされました?!まさか迷った?!あなたを信じてここまで着いて来たんです!しっかり!もう残り一分です!(あまりにも人任せな我)
その時でした。「城戸賞ですか?」と別の男性の声が……!
「そこです!まだ大丈夫ですよ。僕も今出して来たんで」と、爽やかに笑うその男性の背中にも、確かに後光が差していました。
あの時応募出来たのは、そして準入賞をいただけたのは確実にこのお二人のお陰です。大恩人なのにお名前も聞かなかった。これを読んでいてくださっていたら嬉しいです。あの時は本当にありがとうございました。今、どうされてますか?書いてらっしゃいますか?書いてらしてもいなくても、お元気で、幸せでありますように。

プロフィール

4月17日東京都生まれ。ドラマ『舟を編む~私、辞書つくります~』『しずかちゃんとパパ』『ウソ婚』『ワンナイト・モーニング』『メンズ校』『これは経費で落ちません!』『ワイルド・ヒーローズ』他 映画『五億円のじんせい』『スパゲティコード・ラブ』『女の機嫌の直し方』他

三嶋 龍朗

第45回佳作
「上辺だけの人」

城戸賞の思い出

三嶋龍朗

偉大な脚本家であられた新藤兼人先生は「誰でも一作は傑作が書ける。自分のことを書けば」と仰ったという。5年前の私も例に漏れず自分のことを書いて城戸賞に応募した。結果は佳作。佳作とは「できばえの良い作品」のこと。傑作ではない。え、なんで?
と当時の私は思ったが、いま読んでみると理由がわかる。シンプルに下手だ。だけど読み返していて涙が出た。自家発電も甚だしい。脚色はしているとはいえ、自分が自分のために出した処方箋は今もなお心に響く。要するにオナニーだったわけだ。他者を意識していない作品が傑作になるはずもなく、むしろ佳作を頂けたことは後人育成を重んじる方々のご配慮だったと感じている。本当にありがとうございました。
受賞後にありがたいことは続き、脚本の仕事を頂けるようになった。たくさんの方々と関わっていくなかで私はオナニーを悪だと考えるようになった。作品に対してもう自分は必要ない。他者を楽しませることのみに注力していればよい、と。その考えは今も間違っていないと思う。思うからこそ奇しくも『上辺だけの人』で描いた主人公に近付いているような気がしてならない。主人公の脚本家は自分を隠して上辺だけで脚本を書いていた。亜流に甘んじた嘘ばかりで、そして底を打っていた。なんだか耳が痛い。
処女作には作家の全てが詰まっていると言われている。アニメ界の巨星であられた高畑勲さんも東映入社直後に企画したのが『竹取物語』で、晩年に監督された『かぐや姫の物語』が遺作となった。偉大な方々を例に出して矮小な自分と比べる恥ずかしさは自覚している。だが自分も一生をかけて処女作と向き合っていく必要があると感じる。書いたら終わり、撮ったら終わりということはなく、作品は残り続けていくのだから。現に私の佳作はHPに載せて頂けるらしい。ありがたくもあり身が引き締まる思いでもある。いつか佳作を脱し、傑作が描ける日まで精進したいと思う。

プロフィール

1987年生まれ。福島県いわき市出身。日本映画学校卒業後にフリーランス助監督として映画制作に従事。映画『見えない目撃者』への脚本協力を機に執筆活動も行うようになり、2019年に『上辺だけの人』が城戸賞佳作を受賞。『サムのこと』(dTV)、映画『愛のこむらがえり』(加藤正人氏・安倍照雄氏との共著)の脚本を担当する。2023年には『ゾン100 ~ゾンビになるまでにしたい100のこと~』、『幽☆遊☆白書』がNetflixにて配信され、両作品ともに全世界ランキングTOP10入りを果たす。

生方 美久

第46回佳作
「ベランダから」

第47回準入賞
「グレー」

城戸賞の思い出

生方

第46回に『ベランダから』で佳作を、第47回に『グレー』で準入賞をいただきました。入選がほしくてほしくたまらず、悔しくて泣いたことをよく覚えていますし、これからも覚えていようと思います。それでもこの歴史ある賞がいただけたということは、絶対的に希望でした。夢へ導いてくれた城戸賞に感謝しています。
が、夢は叶えると現実になります。イライラしたり、モヤモヤしたり、才能ないな、天職だな、いつ引退しようかな、一生書いてたいな、なんてぐるぐる思いながら、今日も書いています。そんなふわふわな精神状態でも書き続けるくらい、脚本がだいすきということです。映像になった世界が見たくて、登場人物たちに会いたくて、必死にもがいています。
「コンクールなんて運だ」とよく聞きます。よく言われます。運でも、運じゃなくても、どっちでもいいと思います。結局は結果です。書くか書かないか。通るか通らないか。デビューできるかできないか。ヒットするかしないか。続けるか続けないか……。最初の「書くか書かないか」だけは運でも努力でも才能でもなく、自身の選択です。まずは「書く」という選択をした自分がいて、そこからすべてが始まります。城戸賞に限らず、コンクールというのは「書く」を選んだ人たちに平等のやさしさを持っています。公式のやさしさは夢のために利用していい。「書く」という選択をしないと、運の有無すらわかりません。夢は現実となり、「書く」ことは選択ではなく仕事になりました。不自由でとても幸せです。

プロフィール

1993年、群馬県出身。2018年より独学で脚本執筆開始。城戸賞では、第46回『ベランダから』佳作、第47回『グレー』準入賞。2021年、『踊り場にて』で第33回フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞。執筆作に『silent』『いちばんすきな花』。